Act.1『出逢い』
静寂に支配された森を歩み住み処に戻る最中の事。市川は後ろから降り掛けられた言葉に足を止めた。
『町で噂になってる人喰い狼ってアンタだろ』
幼さ残る少年の声は確かにそう言った。
『人喰い狼』それは市川の事である。否、そもそもに語弊があった。正式には『狼』ではなく『狼男』である。
彼は頻繁に餌を喰らう訳ではないが、今日は食人によって脹れた腹と共に住み処に帰るところだった。
(見られたのか…?)
唾を飲む。市川は背を向けたまま言葉を返した。
「面白い事を言うガキだな…。何故、儂を人喰い狼だと…?」
この問いに対する返答で彼はこの少年を生かすか殺すかを決めようとしていた。
憶測混じりに言葉をかけたのなら上手い具合にはぐらかし、撒く。しかし、現場を押さえられていたのなら生かしてはおけない…。
(どちらかと言えば…)
殺すのが一番確実であり楽な方法だ……。だが無意味な殺生はあまり好まない。喰えない餌は殺さない、これが彼のポリシーである。
ふう…と小さく吐き出された市川の息を隠すように風は吹き、木葉は擦れてかさりと鳴った。
そしてそれが鳴り止んで数秒後、少年が口を開く。
「だって……アンタさ…
血生臭い上に獣臭いんだもん…」
告げられた言葉に市川は思わず眉を寄せた。
(コイツ一体…)
何者だ…?血生臭さは兎も角、獣臭いだと……?
人間にそんな臭いが分かる訳がない。アレは意外と鼻の利かぬ生き物だ。コイツが人間であるなら儂が獣である故の臭いに気付ける訳がない…。
「…!」
市川の脳裏に一つの可能性が過ぎる。
獣…?
同族、或いは別の種族の何か…混じっているのであれば鼻は良い…。儂の臭いにも気付くかもしれん。
憶測が核心に近付いた。そして、核心は一気に手元へとやってくる。
それは香り…一瞬辺りを駆け抜けた風が香を運んだのだ。彼からは、間違いなく自らに似たその臭いがした。
「成る程…」
「何?俺の正体…分かった…?」
「ああ、勿論……
貴様、獣だろう?」
市川の言葉を聞き、少年が笑う。
「御名答…流石だね。歳食ってても鼻は利くじゃない…」
返ってきた肯定に市川はほくそ笑んだ。相手が同じ境遇に近いものを持っていると分かった以上正体を隠す必要が無くなったという意を篭めての笑いである。正直な所、そろそろ擬態も疲れて来たのだ。
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