学校直後のおれは制服のままアパートの階段を早足で上っていく。 怪しげな音がするが、いつものことだった。 二階の一番手前の部屋があいつの部屋だ。 呼び鈴すら鳴らすことなく扉を開けた。 「お邪魔しまーす。ケイいるー?」 「いるよー。入ってきていいよ」 奥のほうから声が聞こえた。 靴を脱いで声のする方向へ歩いて行く。 奥の部屋では背を向け、ソファーで寛いでいる人物がいた。 「おかえり。アキ」 「ただい……ま?」 もちろんここはおれの家じゃない。 恋人の、ケイの家だ。 「あ、違うか。でも雰囲気そんな感じしない?」 「しなくはないけどさ。なんか違和感? みたいなの感じた」 「それ慣れてないからだよ」 そうなのかな。 慣れてないから、そうはっきり言われ少し納得してしまう。 いつもの習慣でおれは自然とケイの隣に座った。 「外寒くなかった?」 「それほどでもなかったよ」 「でも手とか冷たいし。頬も」 と言いながら頬に触れて、温かい手がおれの頬を包んだ。 「ほら冷えてる」 「わわわ分かったって!」 近くなるケイの顔におれが慌てる。 意図的に近づけられていた。 視覚いっぱいにケイがいて、ケイしか見えていない。 キスされる、そう思ったんだ。 「なんか温かいもの飲む?」 途端に両手を離された。 ヒヤリとした空気が頬に流れた気がした。 「あ、えーと、飲む」 問いかけられた質問に慌てて答えた。 飲み物などどうでもよかったけど、せっかくだから、と気持ちが無意識に反応したのかもしれない。 「コーヒーでいいかな?」 「うん」 確認するとケイは席を立った。 シンクへ向かう足を目で追い、そのまま目線を下に移す。 正直キスされる、と思っていた。 確信に近かった。 でもされなかった。 してもらえなかった。 期待はしていたかと問われれば、きっとしていたと思う。 どうして、と気持ちの中で渦巻く。 おれの過信だったのか。 そう思うとひどく胸が痛んだ。 シンクの方でお湯を入れる音が聞こえる。 ポコポコとシンプルな音だった。 おれは落ち着かず、勝手にテレビをつけた。 チャンネルなんてどうでもよく、ただこの静かな空気が辛くて逃げたかったのだ。 静かだと余計なことを考えてしまいそうで。 しばらくし、両手にコーヒーを持ったケイは、迷わずおれの隣にきた。 「はい」とコーヒーを手渡される。 「ありがと」 受け取ったマグカップの持ち手はひと肌で温い。 そこに指を重ねた。 マグカップから出る湯気がまだ熱い、と主張しているようだったが、構わず口をつけた。 少しだけ甘い。 でもこの甘さが好きだ。 「おいしいでしょ」 「うん」 マグカップを握るケイの顔はいつもと同じように見えた。 ほんのり優しい笑顔で、やわらかい表情。 いつもは安心できるのに今は何かが引っ掛かる。 でも、そんなことは深く考えず、ケイから目を離し、もう一口コーヒーを飲んだ。 「いつものところの新商なんだ。試しに買ってみたんだけど正解だったかな。あ、俺もこれから飲むんだけど」 「毒見かよ」 「違うよ。絶対おいしいって思ってたから、まずアキに飲んでほしかったんだよ」 それからケイもコーヒーを口に含んだ。 「あ、テレビ勝手につけたよ」 「好きにしていい、っていつも言ってるじゃない」 「ん。けど一応ケイの家だし、ここ」 「入ってくる時は、インターフォン鳴らさずに、自分の家みたく入ってきたくせにー」 意地悪そうにケイが返す。 でもおれは言い返せなかった。 インターフォンを鳴らさなかったのは事実だから。 誤魔化すように目線をテレビに移した。 テレビには子犬の特集を放送しているようで、画面いっぱいに子犬が写っていた。 話題に乗っかるようケイはさらに話しかけてくる。 「ね、アキ、この犬かわいいよ」 「うん、かわいい」 確かにかわいい。 「ね、アキ、かわいいよ」 「うん、かわいい」 犬が、だよな。 「ね、アキ俺のこと好き?」 「うん、か…」 会話がテレビの内容から離れていたのに気付いたのは、三度目の「かわいい」と言う直前だった。 何を聞いているのかわからなかった。 好きに決まってる。 でなければ毎日のようにここに来ない。 こうやって並んで座ったりなんかしない。 くだらない質問をするな、そう返そうとしたが真剣なケイの目を前にして、言葉が出せなくなっていた。 「アキは俺のこと好きなんだよね」 「うん」 迷わず言った。 迷うこともなかった。 「俺もアキのそのはっきりしてるところ好きだよ。アキがまるまる好きだけど」 でも、とケイは続けた。 「俺、ケイから『好き』って言ってもらったことない気がする!」 「はい?」 「だから、アキ! 俺のこと『好き』っていいなさい!」 「強制するもんじゃないよな」 けどケイの言っていることも一理ある。 確かにケイに対して好きだの、それに近い言葉を面と向かっていったことは少ない。 けしてないわけじゃない、はず。 「そっか、アキの俺に対する愛はその程度だったの」 「程度もなにもケイ一筋だから、愛を向ける先はケイだけだし」 「アキ……。じゃあもう遊んでないんだね」 「いつの話だよ」 「だってアキ好きって言ってくれないし、てっきり」 「疑ってたのかよ」 「疑ってたわけでもないけど」 だんだんとケイの話にイライラしてきた。 「じゃあ俺を信用しろよ! お前だって遊んできたじゃねーか! このタラシが!」 「酷いよ! 俺だって今はアキ一筋だよ!」 「じゃあそれでいいじゃないか! 晴れて両思いだ!」 イライラしてなのか、その場の勢いなのか、自分でも分からなくなっていた。 ただこの場でははっきりさせておきたかった。 「“晴れて”じゃなくて、元から……」 「好きだ」 「え」 「好きだよ。ケイ」 「うん」 「だから……、だから!」 キスしてほしい。 その唇で。 ・あとがき・ 拝見ありがとうございます。 今回参加することができ、舞い上がってしまいました。 実は以前より参加してみたいと思っていたもので。 少しでも「面白かったよ」なんて思ってもらえたらうれしいです。 (最後に、お題に沿えた内容だと感じなられかったらごめんなさい。精進します) *master*霧華織 *HP*http://nanos.jp/iroseka/ [back] |