キスはさよならを呑み込んで


所詮、学生の間の恋愛なんてすぐに終わるものだ。

ましてや、男同士。別れる要素なんて掃いて捨てるほどある。男同士に限らずとも、一期一会の学生時代だからこそ、簡単に別れられるという気軽さのようなものも少しは含まれているかもしれないが、それ以上に、男同士で付き合うということは、男女の恋愛関係以上にリスクが高いのだ。もし人目に触れでもしたら、異質の視線を注がれることは間違いないだろう。しかも、学校内。同じ年代の血の気の多い若者がひしめく箱庭に、男同士で付き合っているだのと噂が広まれば、追放されるのは間違いない。だから、おれはどこか最初から諦めていた節があった。そして、シナリオ通りというかのように、あの男とはごく簡単に、別れた。

ひとつ年下の男だった。ごくごく普通の、男子高校生。規定通りの服装と、少し乾いた感触の黒い髪の毛と瞳。なにか特徴をあげるとすれば、周りの生徒より頭一つ分飛び抜けた身長と、胸に下がっているライターのような形をしたペンダント。同性愛者なんて、出会い系サイトかその手のクラブにでも行かなければ巡り会えないと思っていたのに、簡単にそいつはおれの前に現れた。


付き合ってください、と。

それも簡単に言ってのけるものだから、驚きを通り越して笑いが漏れた。おれが同性愛者だと見抜かれた気がして(本人は全く予想もしていなかったらしいが)、それが何だかひどく面白くて、好きでもないのに付き合うことにしたのだ。

そいつは実に、怖くなるくらい健気だった。昼時には、紙パックジュースと総菜パンを毎日買ってきてくれたし、制服が汚れでもすると、自分の制服の袖で汚れを拭う始末。なにより不審だったのは、おれが不機嫌になるとすぐに謝ることだった。その時、決まってそいつは言った。

「嫌いにならないでほしい」

そればかりを言う。自分が原因ではないのに。何故か嫌われることをひどく怖がっていた。その手の雰囲気に過敏だった。お前は悪くないし、謝らなくていいと言うと、そいつは泣きそうな目でゆるく笑った。そしていつも身につけているペンダントを握りしめるのだ。当たり前のことを言っただけなのに、嬉しそうだった。…幸せそうだった。その時だけおれは、心臓をぎゅっと握りしめられるような錯覚に陥っていた。それはなんだか、痛いというよりも心地の良い締め付けで、その時だけはこいつと居て悪くないなあ、と思ったりした。今思うと多分それは、優越感でもあり、淡い恋情でもあったのかもしれない。(当時まだまだ子供だったおれは、そんなことは知るよしもなかったのだけれど。)

そうして、この一連のやりとりの後、あいつはそっとおれを、壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめ、口づけてくる。これは、付き合った時から既におきまりになっていたことだ。そして、身体をまさぐられる頃には、抗うことを考えられない程に力強いものとなっている。全身が、あいつの体温全てがおれのなかに入って、まるで彼の身体の一部にでもなったかのように溶けた。あいつの秘めた熱情をぶつけられるたび、優越感は膨らんでいった。


だがそれも、日々が過ぎゆく内にストレスとなって蓄積していく。人の顔色ばかり伺うそいつに、いつの間にか優越感から苛立ちへと変わっていったのだ。特別な感情も無かったし、こいつと居ても目立つようなメリットだってない。どうみてもアクションを起こすような奴ではなかったから、キスどころか手だって繋いだこともない。

無駄だ。

そう思って別れを告げると、そいつはあの時のようにかなしい顔でゆるく笑っていたが、あっさりと承諾してどこかへ行ってしまった。清々しい程の潔さに、俺は拍子抜けして、立ちつくしたままだった。

今まで散々人の顔色を疑って居たくせに、何故そこであっさり引く?怒らないのか?抗議しないのか?

―おれのこと好きじゃなかったのか?

その時からおれはどこかわかだまりが溜まったままだ。




「……っ、」

寝心地の悪い固いベッドから起きあがり、欠伸をしながらしばしぼんやりとする。学生の頃の夢を見るのはこれで何回目だろう。この夢を見るたび、錘を背負ったように身体が怠くなる。それも、一日中。おれから振ったくせに、おればかりがひきずっている気がする。あいつはとっくに彼氏だのなんだの作っていて、こんな昔のこと、もう忘れているかもしれないのに。準備をする傍ら、窓に目を向ける。暗くしっとりとした夜空が掻き消されるかのように、喧噪を極めるこの街はいつもと変わらず、暑苦しいぐらい輝いていた。


おれが働いているバーは、今住んでいるビルの地下にひっそりと存在する。客層は一般客の他に、近所にある風俗店からくる女性らや、俗に言うヤクザの客だって珍しくない。お世話になっているマスターの先代から続いているバーで、長く愛されているらしい。縁あっておれはそこでバーテンダーとして働かせて貰っている。


深夜二時。カウンターの常連客と他愛のない会話をしながらグラスを拭き、薄暗い店内を見渡す。どこか淫靡さが漂うこの空間は、後ろめたい過去があるおれに充分はまっているような気がする。認めたくないけど、認めざるを得ない。いや、その前に比べること自体が、この業界に失礼だ。此処には此処なりの秩序はあるのだし。


――カラン、

またもう独り、客が来たようだ。

昼間のように大声で「いらっしゃい」、と言う店ではないから、客がこちらにくるまで挨拶は控えている。だからおれはひっそりと横目で客を見やった。大柄でのっそりとした印象の男だ。黒のロングコートに同色のハットだから、顔は見えない。男はおれの目の前のカウンター席に座った。ハットをとり、そして、ゆっくりと面をあげた。

割りかし整ったパーツの面持ち。首に下がっているあのペンダント。そして、まっすぐ、まっすぐと射抜かれる視線。

忘れるはずもない、――あの頃よりひどく成長した、あいつだった。

「…瑞生、先輩。」

あの頃低くなった声は、噛みしめるようにおれの名前を呼んだ。呼ばれたおれは、何も反応できずにいた。ただ、呆然とした間抜け面を晒しているだけだ。どうして此処に、とか、なんでおれを見つけた、とか、そんな言葉さえ発せずにいた。そんな俺を見ていたあいつは、少し逡巡した後、ゆっくりと話を始めた。

「俺が、初めて好きになったひとは、先輩だ。俺がなにかしら起こしたことで、…少しでも、笑ってくれたときは凄く嬉しかった。でも、先輩がこわい顔を俺に向けたとき、死にそうになった。多分俺、嫌われたんだなって、こわかった。その顔をみるたび、親の怒った顔を思い出した。親がその顔をした時は、俺は自分で自分の身体を燃やしてたんだ。忘れるなって、おまえが生まれて来た罪をわすれるなって…」

意味が、分からない。俺はまだ一言も発せずにいた。どんどん落ち着きのない口調になって言ったその言葉を終え、あいつは一息ついた後、自嘲するように笑った。

「先輩と付き合っている時、親から虐待を受けていたんです。コレで、自分の身体を自分で強制的に燃やされた。」

“コレ”と、首から下げたペンダントを顔の横に上げる。変わらずにかなしげに笑うこいつと、ペンダントを模したライター。瞬きが出来ない俺を一瞥した後、今度は腕を捲って、素肌を晒す。

「人間の腕じゃ、ないでしょう?」

軽く笑いながら、自身の腕をなぞる。火傷後のソレは、皮膚が爛れ、中の肉が剥き出しのまま、固まった跡が広範囲に渡って残っていた。

「これが、体中です。当時のおれは、これが日常だった。それが駄目、とか可笑しい、とかは感じていなかった。いや、分からなかったんだ。」

あの時、おれが不機嫌になった時の怯えや、悲痛な訴えは、親の虐待によるものなのだ。高校時代の、あいつの異変のパーツが少しずつ、はまっていく。

「先輩に別れを告げられた時は、死のうと思った。けど、それ以上に親の影がちらついた。おれがいちいちおどおどしてたのは、親への怯えからだと薄々勘付いていたからかもしれない。そして、親から与えられた“罰”が、“虐待”という不当な物だと気付いた時、…おれは、おれは……」

乾いた髪をかき乱し、カウンターの机に突っ伏す。異変に気付いたおれは、カウンター越しにやっと声が出た。

「戸川…」

途端、面を上げた戸川。瞳にうっすらと水分の膜が張っている。黒眼の輝きが増していて、とても、とても、綺麗だった。

「おれは、…親を、……殺した。」

その言葉を聞いた途端、全ての音が消えた。やけにゆっくりと響く低音だった。それだけがおれの頭の中に残った。ハッとして戸川を見やれば、どこか虚ろな顔をしていた。

俺が別れを告げたことで、戸川は親を殺したんだ。別れたことで、親の影を、俺と重ね合わせてしまったんだ。戸川の好きの重さを、俺は弄び、適当に別れた結果が、これだ。もっと、あの時、しっかりこいつを見ていたら、SOSを感じ取っていれば。別れた後に溜まったわかだまりは、微かだが、確かに恋情だったのだ。だけど、恋だと自覚するのが、遅かった。

意味のないたらればを反芻しても、頭の中のわかだまりは無くならない。今更だった。

「正確には、飛び降り自殺…、だけど、おれが死んでしまえと言った一時間後に、死んだ。殺したんだ、おれが、殺したんだ…。」

語尾は震え、逞しくなった身体はカウンターに項垂れている。

彼は、震える声で言った。

「此処に来たのは、おれの全てを先輩に知ってほしくてきた。先輩は、おれの最初で最後のひとだから。決心するのが遅くなったけど、話せた。…もう、やり残すことはないよ。だから、だから…」

そうして、あの頃のように、首に下がるライターを握りしめた。そのとき、おれはほぼ無意識的に、身体を乗り出した。
うつむき、つぎに紡がれるだろう言葉を。おれは、くちびるで、呑み込んだ。


ばかだなあ、殺したのは、おれだよ。お前のこころを殺した。
お前が親をころしたって言うんなら、おれは、お前のこころを殺した。

償ってやる、ずっと。死ぬまで。

さよならになんてしない。



end

(あとがき)
この度は、素敵な企画に参加させていただきありがとうございました。
恋を知るのが遅過ぎた男と、恋をして狂った男。
重い話になってしまいました。甘くない…だと…。
お題スレスレで、申し訳ないです…。
というか、反れていないか、不安です…。
読んでくださりありがとうございました。




*master*今井
*HP*http://nanos.jp/flameout/

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