無意識じゃいられない

 ひらひらと桜が舞い落ちる中、青々と晴れ渡った空に投げ出された男達が弧を描いて落ちていくのが、スローモーションのように映った。

「よう智喜。相変わらずいじめられっ子体質なのは変わってねーんだな」

 庇うように立ち塞がった大きな背中がゆっくりと振り返る。
 自信に満ちた、頼もしい笑顔が逆光を浴びて眩しく輝いていた。

「ヒ、ロ…兄……?」
「おうよ。トモくんのヒーローこと、ヒロ兄が来たからにはもう安心だぜ」

 尻餅をついてポカンと見上げる智喜(ともき)に向かって大きな手が差し出される。
 キラキラと太陽を反射する金色に染まった髪をした二つ年上の幼馴染みは、記憶の中にあった少年の頃の面影を僅かに残してずっと男らしく成長していた。



「しっかし入学して二日目でカツアゲって…お前ってよっぽどイジメて下さいっていうオーラがでてんだろうな」
「…やめてよヒロ兄。自分でも落ち込んでるんだから…」
「わははっ!悪ぃ悪ぃ」

 本当に悪いなどとは微塵も思っていないような豪快な笑い声が屋上に響く。
 並んでフェンスに寄りかかり、くしゃくしゃっと乱暴に頭をかき回してくるヒロ兄、こと広也(ひろや)は智喜が物心ついた頃から兄貴分のような存在だった。
 家が隣同士でお互いの両親も仲が良く、兄弟同然で育った二人はよく一緒に遊んだ。
 広也は俗に言うがき大将で、近所や学校の子供達のリーダー的存在だったが、それに反して人見知りで気弱な智喜は上手く皆の輪に入ることができないような子供だった。
 不器用な智喜が仲間外れにされたり誰かに意地悪をされるたびに広也は体を張って守ってやり、実の兄のようによく面倒を見ていた。そしてそんな広也が智喜は大好きで、一緒にいれば「ヒロ兄、ヒロ兄、」と四六時中その後ろをくっついて回ったものだった。
 それははたから見ればまさに親分と子分さながらで、そんな関係は広也が中学に入るまで続いた。

「三年ぶりか?智喜はほんとに変わんねぇなー。その眼鏡も三年前と一緒じゃん」

 智喜のノンフレームの眼鏡を見て広也が笑う。

「…ヒロ兄は変わったね」
「そうかぁ?」
「なんていうか…ちょっと、不良みたいになった」
「不良ぉ?んー、まぁ、そりゃ髪は金に染めたけどよ。それぐらいだろ?窓ガラス叩いて割ったりなんかしてねーぞ?」
「…ぷっ、あははっ。それっていつの時代の不良だよ」

 立てた両膝を抱えた肩をおかしそうに揺らしながら、智喜は再びこうして広也と何の違和感もなく肩を並べていることに不思議な気持ちになった。
 家が近所でも中学に上がれば広也の環境も大きく変化し、小学校の頃のようにずっと智喜ばかりを構ってもいられなくなった。そうして成長と共に少しずつお互いの距離はひらき、智喜は小学校を卒業すると同時に父親の転勤によって引っ越すことになった。
 三年前の最後に見た広也はまともに会ったのも数週間ぶりで、その日も部活を休んで見送りに来てくれたのだった。まだ、真っ黒だった髪の頃。
 その時からすでに智喜にとって、自分の知らない場所で生活している広也はどこか遠い人のように思え、少しだけ寂しく感じたのだった。

「親父さん、会社辞めたんだって?」
「うん。今は調理師の免許取るために勉強中」
 今年脱サラした父親は、昔からの夢だった喫茶店をひらくために再び生まれ育ったこの町に帰ってきた。

「まさか同じ高校だったとはなぁ」
「ほんと。母さんもおばさんも何も言わないなんて」
「びっくりさせたかったんだろ」

 昔と変わらない、くしゃりとした悪戯っ子のような笑い方に懐かしさが込み上がる。目まぐるしく変化をとげる青年期の中の三年間は、智喜の知る少年を大人の男へと大きく成長させた。
 昔の面影は、もう僅かでしかないけれど。
 広也の眩しく輝く金色の髪は、太陽のような彼にとても似合っていると智喜は思った。


 お互いの存在というものは、同じ学校に通っているというだけで、ぐんと身近に感じるものだ。
 それからはまるで離れていた時間を取り戻すように、二人で一緒にいることが多くなった。

「ともきー」

 休み時間、教室の後ろの扉から顔を覗かせた広也に智喜が慌てて駆け寄る。

「ヒロ兄、休み時間のたびに教室来るのやめてよ」
「んー、智喜がいじめられてねーかと思って。ちゃんと友達できたか?」
「もう…子供じゃないんだから。それに、」
「なんだよ?」

 問い返す広也に智喜は一度ちら、と後ろを振り返ると、困ったように言葉を詰まらせた。予想通り、二人の関係に興味津々!と注目しているクラスメイト達を見てしまったからだ。
 本人に自覚がなくとも広也が学校の有名人であるということは、噂に疎い智喜でさえも知っている。 根っからのがき大将気質な広也は喧嘩も強く、三年という最上級生であることも手伝って、例外なくこの高校でも番長的な存在らしかった。
 おまけに今ではその容姿もすっかり男前に成長していて、ちょっとワイルドな雰囲気なのに性格は豪快で優しいときているから、とにかくモテる。女関係の噂もよく耳にした。
 智喜はそんな広也が自分のような冴えない平凡…より地味目な一生徒と仲良くしていていいのだろうか、などと自信をなくしそうになりつつも、広也のような幼馴染みがいることを密かに自慢に思ったりもしていた。

 朝は一緒に登校して、ほとんどの休み時間には広也が智喜の教室に顔を出し、時々お昼も一緒に食べる。もちろん帰りも一緒だ。
 休みの日は以前程ではないが近所になったお互いの家のどちらかに、というより主に広也が智喜の家に遊びにくる。一緒にDVDを観たり、ごろごろしたり、買い物に行ったり。昔のように公園で一緒にキャッチボールもしてくれた。
 本当に、子供の頃に戻ったようだ。智喜はこんなに自分とばかり一緒にいてもらってもいいのだろうかと少し戸惑いながら、でも広也が構ってくれることがやっぱり嬉しくて仕方なかった。

「お前らってほんと仲良いよな」

 四月も終わりの昼休み。屋上で昼ご飯を食べていると、広也の隣に座っていた男がしみじみとそう言った。
 広也とよく一緒にいる智喜はその人のことをよく知っていた。菅先輩という、やっぱり少し不良のような格好をした、広也と一番仲の良い友達だ。智喜のことも可愛がってくれていて、最近ではこの三人でいることも多い。

「そうか?あ、智喜それウマそう。俺も食いたい」
「いいよ、はい」
「んー、うめぇ」
「…だから、そーいうとこ…。…すげぇな、幼馴染みって皆そんなもんなのか?」

 二人をしげしげと眺める菅に、広也は少し思案するそぶりを見せた。

「知らねーよ。まぁ智喜は俺にとったら弟みてーなもんだし、智喜も俺んことヒロ兄って呼ぶくらいだからもうほとんど兄弟だろ。なぁ?」

 智喜が広也に食べさせた菓子パンを手にしながら頷く。だが、菅は納得のいかない表情で、まだ頭をぐるぐると巡らせているようだった。

「兄弟…つーんかな?なんかちょっと違うんだよなぁ。親子って訳でもねぇし……とりあえず広也はなんかアレだ、彼女んこと溺愛しすぎてほっとけねぇ彼氏って感じだ」
「「え」」

 そよそよと穏やかな春風がそよぐ中、何気なく言った菅のその一言は、二人の間に爆弾を落としていった。



「…あー、智喜、帰んぞ」
「あっ、う、うんっ…」

 放課後、いつものように智喜を迎えにきた広也は、今日はどこか遠慮がちに教室の扉の前に立ったまま中に声をかけた。智喜もびくんっと体を跳ねさせ、慌てたように机の上に散らばった荷物をかき集める。

「じゃあな吉川。明日俺ん家来る時PSP持ってくんの忘れんなよ」
「大丈夫。また明日ね」

 智喜は前の席に座って話していたクラスメイトの野島に軽く手を上げると、鞄を肩にかけて広也の元へと駆け寄った。

「忘れもんねーか?」
「う、うん」
「…じゃあ、行くか」
「うん…」

「……?」

 妙な距離感を漂わせながら歩き出した二人の後姿を、智喜の友人である野島は首を傾げながら見送った。
 今日はどうしたのだろう。いつもなら顔を見るやいなや広也が智喜の頼りない肩にタックルするように腕を回して、ひとしきりじゃれ合ってから帰るのに。


 校門を出て、歩く方向は同じなのに、いつもより少し静かな帰り道。
 当の本人達も表面ではいつも通りを装いながら、やはりどこかぎこちなかった。例の昼休みから、ずっとこんな状態だ。
「…明日遊びに行くのか?」
「え?う、うん」

 ふいに広也に話しかけられ、智喜の心臓がドキッと跳ねる。

「クラスの皆で野島くんの家に集まってゲームするんだ。野島印刷所って知ってる?野島くんあそこの息子さんなんだって。あ、野島くんって頭がいいんだ。クラスで委員長もやってるんだよ」

 智喜は原因不明の胸のドキドキを誤魔化すように、やけにおしゃべりになっている自分を自覚していた。

「へぇ。人見知りだった智喜も自分で友達作れるようになったんだなぁ。兄ちゃんは嬉しいよ」
「もう、またそうやって子供扱いして…」
「ははっ、」

 おどけたような広也の言葉に妙な緊張感が緩んで、智喜はほっと息をついた。
 
「じゃあ、明日は一緒にいらんねぇな」
「そ、だね」
「…お前って好きな奴とかいたっけ」
「えっ!?き、急に何?い、いない…けど…?」

 落ち着いたのもつかの間、どこか緊張したような声で今まで話題にしたこともないようなことを聞いてくる広也に、智喜はまたいつもの距離感を見失ってしまった。

「…さっきの野郎と何かあったりしねーよな」
「さっき…って野島くんのこと?別にただの友達…っていうか、そもそも野島くんは男、だし、」
「そっ、そーだよなぁ」

 お互いにソワソワと落ち着かず、視線を逆方面にさ迷わせる。

「ひっ、ヒロ兄こそ彼女…とかいないの?学年関係なくモテるでしょ。結構遊んでるって、聞いた」
「はっ?だ、誰にだよ」
「噂でわかるよ。ヒロ兄、有名だから…」

 隣でバツが悪そうに「うっ」と言葉を詰まらせた広也に、智喜は僅かに表情を曇らせた。
 そりゃあ自分が憧れて止まない幼馴染みだ。これだけカッコイイのだから、女の子達が放っておくわけがないだろう。

「や、まぁ、そうだな。昔はちょっとやんちゃしてたかもな。ハハ…」
「……」
「…けど、今は遊んでねぇよ」
「…ふぅん」

 まだ疑わしさを残す声色に広也は焦った。
 確かに自分も立派な健康男児だ、一、二年までは女グセが悪かったことは認めよう。だけど、三年になって智喜と再会してからはできるだけ長く一緒にいたくて女に構うどころではなかったのだ。まぁ、と言ってもまだ一ヶ月にも満たない話ではあるが…。
 …しかし、なんだ。自分は何をこんなに必死になっているのだろう、と広也は思った。

「ヒロ兄?」

 いつだって自分を追いかけ、尊敬と憧れの目で見上げてきた可愛い弟分。自分の知る、人見知りで気弱で、泣き虫だった少年は、それでも自分よりは頭一つ分は下だが、あの頃より背が伸びた。自分の知らないところで、確実に成長していたのだ。
 痩せっぽちだった体はやはりまだ華奢だが、その線の細い体に今はどことなく色気を感じるような気もする。
 顔は特別整っている訳でもないのに、癒し系というか、見ていて不思議な気持ちが込み上がってくる。なんて、回りくどい。ぶっちゃけてしまえば、可愛い、と思っているのだ。
 広也はうろたえた。今自分が感じていることは、はたしてただの幼馴染みに対して抱く感情として正しいのだろうか。

「あっぶね」
「わ…っ」

 スピードを出してビュン、と通り過ぎていく車から庇うように、広也が智喜の体を歩道側に押した。
 ほんの僅かの間密着した瞬間に、ふわっと広也の香りに包まれる。かすかな香水の香りは広也の男の部分に触れたようで、智喜はどうしようもない気持ちに胸が締め付けられた。
 昔は、あったかい日向の匂いだったっけ。
 すぐに離れてしまった香りを寂しく思うように視線で追いかけると、自分といる時の広也はいつだって車道側を歩いていたことに気づいた。
 ただ、それだけのことなのに。

「ヒロ兄…」

 切なく甘く疼き出した胸を持て余すように幼馴染みの名前を呼ぶと、しばらく黙っていた広也が言いにくそうに口を開いた。

「あー…その、"ヒロ兄"ってのもいいけど、さ。…これからは広也、って呼べよ…」
「ひ、ろや…?」
「ん。……トモ」
「…っ」

 もう誰も呼ぶことのなくなった自分の愛称をなぞる声に甘さを感じ取ってしまい、智喜は心臓がギュウ、とわしづかみにされたような衝撃を受けた。
 そして同じく、広也はちらりと盗み見た智喜の横顔がほんのり色づいていることに落ち着かない気持ちになっていた。

「…ぁっ」
「っ、わりっ…」

 並んだお互いの手の甲が触れ合い、パッと勢いよく離す。
 って何が悪ぃんだ、と広也は自分にツッコミを入れたくなった。今まで散々肩を組んだりじゃれ合ったりしただろうに。ほんの少し手と手がぶつかっただけで、なんなのだろう、このふわふわソワソワした妙な空気は。
 いつもは饒舌な広也が黙ってしまったことで、さらに気まずい沈黙が二人の間を流れる。
 くそ、あんにゃろう、余計なこと言いやがって。広也は気心の知れた親友の能天気な顔を思い浮かべて心の中で毒づいた。
 だが、実際二人はそんな他愛もない言葉も冗談として流せないところまできていたのだ。指摘されれば、こんなにも簡単にぐらついた。

 幼馴染みとそれ以上の関係の境い目は、こんなにも危ういものなのだろうか。

 触れ合った僅かな肌が熱を帯びている。

 名前を呼ぶのも、呼ばれるのも。触れるのも、自分の、相手の一挙一動、紡ぎ紡がれる一言一言が、もう無意識じゃいられない。
 お互いに視線が交わるだけで胸が騒ぐようになるのも、時間の問題だろう。



END

---------------

『幼なじみ』という単語だけで胸ときめく私にとって、このような素敵な企画に参加できたことをとても光栄に思います。
長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。

*master*鶫
*HP* http://m-pe.tv/u/page.php?uid=tugumigumi&id=1



[back]


あきゅろす。
無料HPエムペ!