金魚すくい

とんでもなく暑い日だった。
車から出た途端、この熱気だ。
クーラーで冷えた体は、まるで結露したかのように湿気を帯びていた。
手のひらがべとつく。
汗がとめどなく吹き出している。
耳奥でじりじりと頭皮の焼けていく音が聞こえる。
こんなところに五分も立っていたら、熱中症で倒れるかもしれないな。
そんなことを考えて、浩太郎は体育だろうか、騒がしいグラウンドを眩しい思いで眺めた。
自分にもこんな学生時代があったということが、なんだか可笑しかった。
さぁ、ラスト一件。
顎に伝う汗を手の甲でぐいと拭って、目の前の私立高校へと急いだ。


ネクタイを緩めて、鞄をベッドに放る。
閉めきっていた部屋は、空気がこもって息苦しい。
電気と同時にクーラーをつけたけれど、冷気が部屋にまわるまでは時間がかかりそうだった。
換気がてら、窓を開ける。
携帯をチェックすると、メールが来ていた。大学の後輩からだった。
週末近くの神社で縁日があるから、一緒に行かないかという誘いだった。
しばらく考えて、返信画面を出す。
仕事だから、とおざなりな断りの言葉だけを返して、携帯を閉じた。

シャワーを浴びて、缶を煽る。
部屋の電気を落とし、ベッドに両足を投げ出す。
暗闇の中で、水槽だけがぼんやりと光を発していた。
ブルーにライトアップされた水槽の中で、色鮮やかに反射した鱗が煌めく。散る。
浩太郎は、これを眺めるのが好きだ。
いくつもの光が自由に尾をひく様はまるで重力を感じさせない。
たまっている洗濯物のこと、ゴミの収集日のこと、明日の朝食のこと。
そんなことをぼんやりと頭の片隅で考えながら、彼らを見るのが好きなのだ。
余計なことを考えないで済む。
酒でいい感じに火照った体に、クーラーの冷気が心地よい。
缶を片手に、いつしか意識がなくなるまで、浩太郎は水槽を眺めていた。



会社からの帰り道、自転車を走らせていると、浴衣の女性とすれ違った。
それからぽつぽつと見かける浴衣の家族連れや恋人達。
ああ、縁日か。
そう気がついて、ペダルをこぐ速さを緩める。
坂道の下りに沿って、ぼんやりと灯った提灯の火が点々と続いていく。
その先の一際明るい場所が見えたところで、自転車を止めた。
子供の楽しそうな声が聞こえる。
焼き鳥の甘く芳ばしいにおい。
祭りというものには、引力があると思う。

「結城さん!」

名字を呼ばれて振り返ると、誰かが駆け寄ってくるようだった。
暗くて顔はよくわからない。
しばらく目を凝らして、ようやく見えるようになった。

「あー…笹木?」
「はい、良かった、ダメもとで待ってて。もう帰ってしまったんじゃないかって思ってました」

笹木は目尻に皴を浮かべて、ホッとしたように笑っている。
何でこんなところに笹木が…
その時ようやく、先日のメールのことを思い出した。
そうか、今日金曜日か。
すっかり頭の中から抜けていた。
確か俺、断ったよな?
なんとなく思い出せる自分の適当な返事に頭が痛い。
まさか会う予定なんて、今の今まで無かったのだ。
笑う笹木の目を見れなくなった。
ああ、ちくしょう、気まずい。
でも、どうして。

「いや、違うんだ、笹木。俺、会社帰りで、この道も帰り道で、今日仕事ってのもウソじゃなくて、その、」
「ふふっ、いや、わかってますよ、結城さん。今日仕事だったってことも、この道が帰り道だってことも。知ってて誘いましたし、帰り道なら待ち伏せとかできるかなって思って」
「…へ?」
「まぁちょっと諦め悪いかなとは思ったんですけど、こうでもしないと結城さん来なさそうなんで。」

ちょっと仕掛けてみました、と笑う後輩の顔は、大学のときに出会った頃と、何ら変わりがなかった。
脱力感に襲われる。
無邪気というか、毒気を抜かれたというか。
気を張っていた俺が馬鹿なのか。

「少しだけでも寄っていきませんか?今なら大分、人も落ち着いてると思いますし。結城さんも明日は休みでしょう?」
「…あぁ」

もう観念した、という風に、浩太郎は頷いた。
どうやらこちらの情報は筒抜けらしい。
自転車を適当な場所にとめる。
本堂の方へ向かうと、まず熱気にあてられた。
ずらりと並ぶ極彩色豊かな屋台に、色んなものが入り交じった独特のにおい、足音、声。
笹木の言ったとおり、人は思ったよりも少なかった。
それでもやはり、大の男が二人だけとなると、人の視線が少し気恥ずかしい。


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