きみの好きなやり方でキスして


人には誰しも「性癖」というものを持っている。
清水京一(しみず・きょういち)はあまり人には理解してもらえないマニアックな性癖を持っていた。


がぶっ


「痛ッ……てえぇえええ!!!」


その性癖とは、男性の体に噛みつくこと。


「ごめん。つい噛んじゃった」
「ごめんじゃねーよ、ついじゃねーよ!」


噛むといっても誰彼構わずというわけではない。目の前にいる、彼だけだ。
黒曜石のような瞳がぎろりと京一を睨んでいる。ベッドの上で雑誌を広げて寛いでいたのを、鼻を噛まれるという恋人からの暴挙により邪魔をされて至極不機嫌……の様子の彼、広橋潮(ひろはし・うしお)。噛まれた鼻は真っ赤で痛々しいけれど、容姿端麗で同性をも惑わせる完璧な美貌の中のそれは少し間抜けで可愛くて。京一は謝罪の言葉を述べながらも心の中は大満足だった。


「ったく、てめぇは毎度毎度……何回噛めば気が済むんだっつの。」
「ごめんってば。だって潮さんが可愛いから……」
「年上の男に可愛い、ねぇ……?」


ぎろり。また一睨み。怖いよ潮さん、と京一は潮が寛ぐベッドから一歩退いた。戦略的撤退、戦略的撤退。あれ、意味ちがう?
退いた京一を追い詰めたりせず、潮は呆れた溜め息を吐き出した。読んでいた雑誌をぱたんと閉じ、雑に放り投げる。見た目とは裏腹に言葉遣いも行動も雑で乱暴なのだ。しかし、いくらギャップのありすぎる姿を見せられても京一は潮のことを引いたりしない。綺麗な白い指先が物を乱暴に扱っても、長くてしなやかな脚が口より先に出ても。潮が京一の性癖に呆れはしても、京一が潮の生態に引くことはなかった。
潮と出会ったのは三ヶ月前の電車の中。高校生の京一と大学生の潮がまだ他人同士だった時。吊革に掴まりガタンゴトンと揺れる車内で京一がぼうっと立っていたその前の席に座っていたのが潮だった。元々そういう気のあった京一は綺麗な人だ、と潮に目を奪われ、そのままの勢いで



がぶっ



―――と、鼻を噛んだのだ。


直後は不審者扱いされ駅員に突き出されかけたり、過剰防衛上等の蹴りをお見舞いされたり、人生でそうそう聞く機会のない罵詈雑言を浴びせられたりして大変だったし、今でも遠い目をしてしまうくらいしょっぱい思い出なのだけれど。完全に一目惚れしてしまった京一の猛アタックの末、今では晴れて恋人同士。ベッドの上で寛ぐ広橋潮をじっくり堪能できるまでに至ったのである。嗚呼、目の保養万歳。


「なに人のカオ見てトリップしてやがる。」
「いや、やっぱり可愛いなと思いまして。そんなわけで潮さん。ちゅーしましょ、ちゅーう。」
「うわ、乗っかってくんなバカ!」


拗ねた顔も焦った顔も可愛い、綺麗、可愛い可愛いかわいい!
京一は本能のままに潮を押し倒した。げしげしと背中に蹴りの抵抗が繰り出されているのが痛いけれど、幸い(か、どうかはわからない)慣れている。石の上にも三年。蹴られ続けてきてよかった。


「はい、ちゅーしましょ、ちゅー」
「いやだ! 退け! ちょ……重いわ、ハゲ! しね! このピー野郎が!!」
「規制音モノの悪口はダメだよ、潮さん。それにハゲてないし。」
「いーから退け! お前のはちゅうとか可愛らしいもんじゃねんだよ、がぶっなんだよ!」


がぶっも可愛いと思うけど、と京一が言えば、潮は信じられない信じられないと喚きながら足をばたばたさせた。うん、年上の威厳ゼロだ。可愛い。


「このまま初夜といこうか、潮さん!」
「身体のあらゆるところを噛まれそうだから、ヤダ!」


ちっ、と舌打ちをする。


「噛む以外のこともできるんだけどなぁ」
「なに言ってんだ、まともなキスをしてこない奴が。あと、性癖に「癖」ってついてる理由を深く冷静に考えてみろ。」
「むむっ」


簡単には治らないからです。答えはすぐに出たけれど、京一は敢えてその話題をスルーした。代わりに、ふと思い付いてしまった。


「潮さん」
「なんだよ」
「潮さんからキスしてよ。」
「……っは、ア?!」


なんで。どうして。驚愕の中の疑問符に、京一はにっこりと普段あまり変化のない顔に笑みを刻んだ。ひく、と潮の肩が震えた。


「潮さんからキスしてくれたことないから。おれが「がぶっ」なら、潮さんはどんなキスなのかなぁって思って。」
「まず、噛むのはキスじゃねーからな!」
「ねぇ、潮さん。潮さんのやり方でキスしてみてよ。」
「無視かよ!」


ぷいっと背けた顔が赤い。京一はますます昂り、露になる首筋に噛みつ―――キスをしようと考える。けれど、潮からのキスが欲しかったのでぐっと堪えた。


「ねぇ、潮さん」
「……。」


もう一押し。


「潮さん」
「…………。」


あと、もうちょっと。


「キス、してよ」
「う……っっるせぇな!!!」


ゴンッ
「ぬをッ?!」


甘い囁きに返ってきたのは容赦ない渾身の頭突きだった。ぬをぉぉぉ……と京一は頭を抱えてベッドをのたうち回る。


「フン。ざまァみやがれ。」
「……う、潮さん」


にんまりと勝ち誇った笑みを浮かべた潮を見上げると、潮はぶはっと噴き出した。くくく、と抱えきれないとばかりに笑い出す。


「潮さん……?」
「お前、デコ真っ赤だぞ。やっべぇ、漫画かよ。はー……おもしれ。」
「失礼な……。」


くらくらして反論する気にもならずにベッドに横たわる京一は、それでもこんな笑顔が見られるならよかったかななどと完全に惚れた弱み全開の心境に苦笑した。出会った頃と同様、間違いなく自業自得なのだがあまりの痛みにぐったりとしてしまう。俯せになって枕に顔を押し付け、痛みに耐えた。


「おい、京一。こっち向け。」
「へ?」
「ほれ、氷嚢。」
「あ、ありがと」


ぴと、と仰向けになって露になった真っ赤な額にひんやりしたものを乗せてくれた。端から見たら風邪っぴきのようでなんだか情けない図だ。
じんじんする箇所にひんやりと冷たさを感じて、目を閉じて息を吐いた。気持ちよくて、だんだん余裕が出てきた。


「潮さんって酷いのか優しいのかわからない。」
「襲ってきた奴を治療してやってんだ。この上なく優しいだろ」
「でもキスしてくれなかったし頭突きしてきたし」
「同意の上じゃねーしな。」
「でも恋人だし。恋人、だし!」
「あー、もう!」


潮はがりがりと頭を掻いた。


「ぴーぴー五月蝿い!」
「う。だって」
「わかったよ、もう!」
「へ?」


ひんやりとした感覚だけを額に残し、氷嚢が退けられた。代わりに上から降ってきたのは……


ちゅ、


「!」


柔らかい、唇の感触。唇が離れてから潮が顔を上げるまで京一はその動作をじっと見ることしか出来なかった。さらさらと揺れる黒髪が綺麗で目を奪われた。


「ほーら、俺って優しい。」


ぶっきらぼうな台詞と真っ赤な顔に愛しさが胸いっぱいに膨らんで膨らんで、膨らんで。


「潮さん!!!」


オーバーした。



がぶっ!!!


「痛ッッッてぇええー!!」




君の好きなやり方でキスして



-完-




後書き
素敵な企画に参加できて嬉しくなって少しばかりハイテンション可笑しい子たちのお馬鹿なお話になってしまいました。
お粗末さまでした。


*master*喜多村
*HP*http://nanos.jp/aitaimelt/

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